大判例

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大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)3554号 判決 1984年9月20日

原告

松下孝

右訴訟代理人

坂本義典

被告

足立昇

主文

一  被告は、原告に対し、金八〇万円及びこれに対する昭和五二年七月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二本件発言により原告の名誉、信用が毀損されたか否かにつき以下判断する。

前掲争いのない事実に<証拠>を総合すれば、本件発言は、被告が大東市議会用地問題調査特別委員会(本件委員会)という公の場においてしたものであり、本件発言の趣旨は日本共産党発行のビラに掲載されて大東市全域に頒布されたほか、読売新聞、毎日新聞においても掲載報道されたこと、そして、本件発言は、大東市会議員たる原告が、同市の所有地の入札に関して、右議員たる地位を濫用して不当な圧力をかけて被告ら夫妻に入札を辞退させたとの印象を一般市民に与えるものであることが認められるところであり、これによれば、右のような内容の本件発言が原告の社会的評価を低下させるものであることが明らかであるから、原告は本件発言によりその名誉、信用を毀損されたものということができる。

三そこで、抗弁につき以下検討する。

被告主張のように、被告が、地方自治法一一〇条及び大東市議会委員会条例第四条により設置された本件委員会から、地方自治法一一一条及び大東市議会委員会条例一八条の定めにより参考人として発言するよう要請され、右参考人として本件発言をしたものであり、本件発言が公共の利害に係り、被告が公益を図る目的で本件発言をしたとしても、被告において本件発言に伴ういつさいの民事上の責任を免除されたものと解することは、その旨を定めた何等の規定もなく、また本件全証拠を総合しても、他に右のように解するべき特段の理由を見出せない以上、できないことであり、その発言の内容が右のように他人の名誉、信用を毀損したものであるときは、発言者の側において、少なくとも発言の内容が真実であることを立証するか、または発言内容を真実と信ずるについて相当の理由があることを立証するのでない限り、民事上不法行為責任を負わなければならないものというべきである。

従つて、まず、本件発言の内容が真実であるか否かにつき検討を加えることにする。

徳田及び原告が本件入札に参加申込をしたこと、被告ら夫妻が昭和五〇年二月一二日の本件入札当日午前九時三〇分ころ本件入札に参加するため大東市役所に赴いたところ、植田に同市役所市長室に案内されたこと、被告ら夫妻が本件入札参加を辞退したこと、そして氷野の土地の払下げを求める旨の嘆願書を大東市長宛提出したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  右の当時、大東市は大阪府下でも能勢町を除いて一番の医療砂漠地帯と呼ぶべき地域であり、加えて当時の市長川口房太郎が救急医療対策や病院建設を市長選挙の際の公約としたため、同市は、国公立病院の誘致を図つていたが、成功しなかつた。

(二)  既に二四時間オープンの救急病院をいくつか建設していた徳田は、大東市内にも同様の病院を建設しようと考え、同市南津の辺地区の約三〇〇坪の広さの民有地を買受ける契約を締結したが、付近住民の反対により病院建設はできなかつた。そこで、徳田は原告や橘田正美大東市会議員に協力を要請したところ、原告は右協力要請に応じ、徳田と同道し、右川口大東市長に市の所有地で病院建設用地として適当な土地があれば徳田に提供するよう申し入れた。右川口市長も徳田の建設しようとしている病院が年中無休の二四時間体制の病院であること、その他財政上の理由で国公立病院等を誘致したり、新たに市民病院を建設したりできないことから、徳田が病院を建設することに賛同し、右病院建設用地として本件土地が適当と考え本件土地を徳田に対し随意契約で払い下げようとした。ところが、大東市医師会等から右病院建設に対し反対があり、また、徳田の建設しようとしている病院が民間病院であることから、右市長は随意契約による払下げは断念し、同市において本件土地を一般競争入札に付することにし、徳田は右入札に参加することになつた。

(三)  右入札の参加申込者は、徳田、原告、学校法人大阪東学園(幼稚園)の理事長で、同学園を実質上被告と共同経営していた被告の妻足立美佐子の三人であつたが、原告は、前記のとおり徳田に本件土地を落札させることを意図していた。

(四)  一方、被告は、当時門真市に所在する学校法人大阪東学園(幼稚園)の園児が約一五〇〇名に膨れ上り、その敷地面積に比して園児の数が多すぎるようになつたため、新たに右幼稚園の分園を建設する予定であり、そのための用地を探していたが、かねて知り合いの大東市会議員である植田にも幼稚園を建設するのに適当な土地がないかどうか相談したことがあり、植田も、被告ら夫妻に対し、被告ら夫妻の希望に副う土地として氷野の土地を挙げたりしていた。本件入札に参加するに際しても、被告ら夫妻は植田に入札参加手続について質問し、植田は右質問を受けて大東市の総務部長や管財課の担当職員に問い合わせるなどし、本件入札当日もその前の日ころに被告の妻足立美佐子から連絡を受けて本件入札場所である大東市役所を訪れた。

(五)  被告ら夫妻は、本件入札の当日である同月一二日午前九時三〇分ころ、本件入札に参加するため大東市役所に赴き、前記のとおりあらかじめ連絡していた植田と会い、植田の案内で同市役所内の市長室に行つたところ、右市長室で、そこに居合わせた原告から大東市は医療砂漠地帯であるので本件土地は譲つて欲しい旨、本件入札参加は辞退するよう説得された。しかし、被告ら夫妻は明確な返答はしなかつた。

(六)  そして、被告ら夫妻は本件入札の実施直前原告に対し、被告ら夫妻は入札を辞退すると申し入れた。そこで、原告は大東市管財課長代理として本件入札事務を担当していた蔀正次のもとに被告ら夫妻が入札参加を辞退すると言つていると申し出た。右蔀は市長室横の秘書室で被告ら夫妻の意思を確認したところ、被告ら夫妻は「今回はおりますわ。」と答えるだけでそれ以上理由は言わなかつた。その際原告は、蔀に対し、「本人が降りると言つているのやから、担当者がとやかく言うことはない。」と述べた。

(七)  本件入札の結果、本件土地は徳田が代金二億七三六〇万円で落札した。被告ら夫妻は、右入札終了後、氷野の土地の払下げを受けてそこに幼稚園を建設しようとしたが、氷野小学校のPTA及び大東中央幼稚園らから反対され、またいわゆる距離制限の問題があつたので、右目論見は実現しなかつた。

以上の事実が認められ<る。><中略>

以上認定したとおり、原告が本件入札当日被告ら夫妻に対し、本件入札参加を辞退するように説得した事実は認められる。

そこで、さらに進んで、被告の主張にかかる、原告が本件入札当日被告ら夫妻に対し、机をたたきながら、おれのバックには同和がついている等と言つて、右入札参加の辞退を迫り、かつ、「入札辞退と引き換えに、氷野の市所有地払下げを求める嘆願書を書け、」と言つて、市長室で被告持参のメモ帳に万年筆で右嘆願書の下書をし、被告ら夫妻は全く不本意ながら原告の圧力により嘆願書を書いて入札を辞退した、という事実の有無を検討する。

まず、原告が本件入札当日被告に対し、「おれのバックには同和がついている。」と言つて本件入札参加を辞退するように迫つたという点については、<証拠>中にこれに副う部分があるが、被告自身がその本人尋問において、原告は本件入札当日被告に対し、「おれのバックには同和がついている。」と言つたことはない旨、明確に供述していること、その他原告本人尋問の結果に照らして措信しがたく、他に右事実を認めうる証拠はない。

次に、本件発言中右の部分以外の部分について検討するのに、<証拠>には本件発言に副う部分が存在する。

しかしながら、同部分については、原告本人の反対供述があるのみならず、とくに、陳情書の下書を原告が書いたという点については、<証拠>を総合すると、(一)当時本件委員会の委員でもあつた岩淵弘大東市会議員が高橋竹次郎門真市会議員宅を訪れ、同人に右嘆願書の下書を誰が書いたのか尋ねたところ、同人は絶対に他人には口外しないという約束のうえで、右下書は植田が書いたと答え、そして、右岩淵が右約束に反して右のとおり右高橋が返答したことを、本件委員会で述べたため、同人から本件委員会事務局に対し、電話で、厳しい口調で抗議を受けたこと、(二)、被告が本件委員会において、右下書が被告の手元に存在すると述べたため、本件委員会は被告の本件発言後本件発言の真偽を確かめるために右下書の筆跡鑑定をしようと、被告に対して右下書を提出するよう求めたが、被告は、右下書は手元にある旨述べながら、かくべつ合理的な理由もないのに右下書を提出せず、さらに、原告が代理人(弁護士)を通じて右下書を見せてくれるよう求めたのに対しても応じなかつたことが認められる。また、原告が机をたたきながら入札参加の辞退を迫つたという点についても、<証拠>において、本件入札当日原告が被告ら夫妻に対し入札参加を辞退するように説得した際同席していた植田が五分位は席をはずしていたが、同席していた間は原告が被告ら夫妻に対し洞喝するように言つたような記憶はなく、むしろ穏やかな雰囲気であつた旨供述している。そして、そもそも、前記<証拠>を合わせて、被告の本件委員会における供述及び当裁判所における供述を通じてみると、被告は、たとえば、本件委員会では本件入札当日原告から、「おれのバックには同和がいるんや。」と言われた旨供述していた(本件発言)のに、当裁判所では本件入札当日は原告から同和云々と言われたことはなかつたと供述したり、また、本件委員会では大東市の市会議員の協力を受けて氷野の土地を取得できる見込みであるという点も本件入札を辞退する理由の幾分かを占めると供述していたのに、当裁判所では本件入札の申込を取り下げたのは氷野の土地に心が動いたからではなく原告の言動が理由であつてそれ以外にはないと供述したり、さらに、本件委員会では、事前に植田は原告が本件入札当日何時に市役所へ赴くかを言つておいた旨供述していたのに、当裁判所では植田と本件入札当日大東市役所で会つたのは偶然であると供述したり、あるいは、本件委員会では本件入札参加を辞退した際前記蔀から被告ら夫妻の意思を確認され、被告ら夫妻は「まあ下りますよ。」と答えたと供述しながら、当裁判所では蔀から被告ら夫妻の意思を確認されたことはなかつた旨供述したりするなど被告の供述には前後矛盾する部分を多分に含むことが認められるところであり、そしてまた、<証拠>によれば、被告ら夫妻が従前植田に対して幼稚園の建設用地として適当な土地がないか相談したのをうけて、植田は、右用地として氷野の土地を挙げたり、本件入札参加の手続について被告ら夫妻のため大東市の担当職員等に問い合わせたりしたこともあり、本件入札当日植田が大東市役所を訪れたのもその前の日ころに足立美佐子から連絡を受けたからであることを認めることができるのに、前記のとおり、被告は、当裁判所において本件入札当日植田と大東市役所で会つたのは偶然のことで被告ら夫妻が依頼して来てもらつたものではない旨ことさら虚偽の供述をしたものとしかいえないような供述もしているのである。これらの事情に徴すると、<証拠>を措信することはとうていできない。他に本件発言中の右各部分を真実と認めるべき証拠はない。

以上のとおりであつて、本件発言はその全体にわたつてその内容が真実であることの立証がないものというべきである。

次に本件発言は被告自身が直接体験した事柄に関するものであるから、被告において、本件発言の内容が真実であるかどうかだけが問題となるものであつて、その内容を真実と信ずるについての相当の理由があるかどうかはもともと問題とならないことである。従つて、その余の点について判断するまでもなく被告の抗弁は全て理由がない。

四<証拠>を総合すれば、原告は、昭和四三年四月以来現在まで大東市会議員として活動しており、その間昭和四五年に総務文教常任会委員長、同四九年に総務常任委員会委員長を務めていた者であるところ、本件発言が本件委員会においてなされ、さらに本件発言が日本共産党発行のビラに掲載されて大東市全域に頒布されたほか、読売新聞、毎日新聞などの一般紙にも掲載報道され、そして、本件発言内容が市会議員が議員としての地位を濫用してその所属する市の所有地の入札に不当な圧力をかけたという印象を一般市民に与えるもので、市会議員としてのいわば政治生命さえ奪いかねないことを内容とするものであることが認められ、その他本件にあらわれた一切の事情を総合考慮すれば、原告は、多大の精神的損害を被つたものというべきであり、これを慰謝するためには、金八〇万円の慰謝料をもつてするのが相当である。

なお、原告は損害賠償に加えて、謝罪広告を求める請求をするが、<証拠>を合わせると、本件委員会は調査の結果原告に本件発言に副う不正行為があつたか否かにつき結論を出さないままに終わつたこと、さらに、原告は本件発言後も現在まで市会議員としての地位を失うことなく連続当選を続け、昭和五六年には大東市会議長にも就任するなどしていることを認めることができ、本件発言後既に七年以上経過していること等を考慮すると、その被害は事実上相当程度回復しているものと解され、現時点で謝罪広告の形で再び社会の関心を呼び起こすことは名誉回復の措置としてむしろ適当ではないと考えられるから、慰謝料の支払の他に謝罪広告の掲載を求めるのは相当でないというべきである。<以下、省略>

(岨野悌介 本間栄一 中村也寸志)

謝罪広告<省略>

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